2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
AKB砲 1987年シーズン途中に西武ライオンズに入団。長身に加え、甘いマスクで、家族共に日本入りした姿が野球ファンの間で話題になった。登録名は最初はバンバークレオであったが、すぐにバークレオに変更されている。 西武入団1年目は外国人枠の関係もあり…
昭和最後の日本シリーズMVP 本日は平成最後の昭和の日ということで昭和最後の日本シリーズMVP石毛宏典です。 ここで説明することはないと思いますが、一つ言うなら三塁手って事くらいですかね。 日本シリーズの成績は18打数7安打の打率3割8分9厘3本塁打6打点…
首位打者 4月は打率2割台前半と低迷したが、5月5日に猛打賞で3割を超えるとその後は好調を持続。オールスターゲーム第3戦で史上4人目の先頭打者本塁打を放ち、優秀選手賞を受賞した。9月1日の対南海戦からは不振のビル・マドロックに代わって4番を任された。…
本塁打王と2年連続の打点王の二冠王 最近YouTubeのチャンネルを開設した、ポンセ氏です。みんな登録しよう!と言うわけで、今回はよくある1987年ではなく33本塁打、102打点で初めて本塁打王のタイトルを獲得し、2年連続で打点王、ベストナインに選ばれた1988…
東京ドーム元年 東京ドームに移転して、総本塁打数前年の後楽園の125本から75本と1試合あたり1本近く減った中での31本は流石。ちなみに原個人も前年後楽園での17本から10本に減らしているので、移転しなければ40本近く打ったかも? 1988年成績 .300(467-140)…
救援登板のみで規定投球回到達 リーグ最多の70試合に登板して10勝6敗24セーブ34セーブポイント・防御率2.28の成績を挙げ、中日ドラゴンズ・郭源治やロッテオリオンズ・牛島和彦に並んで「プロ野球を代表するストッパー」とうたわれた。同年は救援投手ながら…
44セーブポイントを挙げ、MVPに選出 6月には1勝8セーブ、防御率0.00の活躍で初の月間MVPを獲得している。一方、7月21日に弟が交通事故にあい、オールスターゲーム第2、3戦の出場を辞退して見舞ったが同28日に亡くなっている。後半戦の開幕戦となった翌日、完…
リリーフのみ、規定投球回数未到達で最多勝本田技研在籍時の1984年にエースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に参加し、金メダルを獲得する。1985年の日本選手権では本田技研の初優勝に貢献し、自身は4試合で完投し、防御率0.79の好成績を残し、MV…
不惑の大砲 説明不要! 1988年成績 .311(447-139) 44本 125打点 MVP 本塁打王 打点王 ベストナイン デフォにあるので変更点を ミート 自分の査定基準だとこう。特能増やしたしいいでしょう。パワーはたまたま同じになっただけ。 ケガしにくさE この年は全試…
スクリューを習得し、優勝に貢献 皆さんご存知山本昌の若かりしです。(このときはまだ山本昌ではないが)この年はわずか1ヶ月で初勝利を含む5勝を記録して優勝に貢献。22年後にも似たようなことをするのですがそれは別の話。 1988年成績 防御率0.55 5勝0敗 …
メジャーリーグの本塁打王と言う肩書きを引っ下げ、1987年に近鉄バファローズに鳴り物入りで入団。来日38歳と選手としては高齢な事から衰えを心配されたが、2年連続3割、本塁打20本と安定した成績を残し、一定の存在感を示した。1988年シーズン限りで退団、…