救援登板のみで規定投球回到達
リーグ最多の70試合に登板して10勝6敗24セーブ34セーブポイント・防御率2.28の成績を挙げ、中日ドラゴンズ・郭源治やロッテオリオンズ・牛島和彦に並んで「プロ野球を代表するストッパー」とうたわれた。
同年は救援投手ながら規定投球回に到達する活躍を見せたほか、オールスターゲームでは第2戦・ナゴヤ球場(7月25日)、第3戦・東京ドーム(7月26日)と2戦連続で勝利投手となった。
同年は11月5日開幕の日米野球大会(読売新聞社主催)全日本メンバーに選出されたほか、11月19日に平和台野球場で行われたセ・リーグの第10回東西対抗戦東軍にも選出された。
1988年成績
2.28 10勝 6敗 24セーブ 70登板 142.2投球回 118奪三振
球速
この年のは不明。高校時代の1985年と、1989年に記録した150。
変化球
Wikipediaに「中日時代は力のある速球に加えて「ストライクを取るフォークと空振りを取るフォーク」の2種類のフォークボールを武器に中継ぎ投手として活躍した」と書いてあるので。わざわざ「中日時代は」とあるのでこのときは違うかもしれないが、そんなに変わるものでもないかなあと。
残りの球種はカーブとスライダーがあるが、中日で復帰したときの発言がフォークとカーブにしか触れてなかったので、大洋時代にはあまり投げていなかったのかなと。
「プロ野球データファイル」にこの年の活躍の要因にスライダーの習得を挙げている。
よってフォークも1種類で。
対ピンチB、緊急登板
「いきなりピンチで出てくるとクソ度胸があるのか妙にいいピッチングを演じて見せる」と2000年頃に書かれた中日ファンの個人サイトに書いてあったので。
こういうことはそうは変化しないし、防御率いいのでいいでしょう。
対左投手E
1996年に右.143左.303と左に打たれているので、苦手だろうと。ただ実際の数字が不明なので控えてE。
ノビC
防御率がいい速球派というだけ
回復A、回またぎ◯
130試合制で70登板140イニングとか、もはや壊しにいっているレベル。上記のサイトの表現を借りるとまさに「殺人的な起用」。事実翌年ケガして成績を落としている。
キレ◯
フォークの評価が高く、伝家の宝刀との表現があったので。あと防御率(ry
正直要らなかったかも