球界彦左
選手兼任監督として日本プロ野球史上最高齢公式戦出場記録を山本昌に破られるまで、64年間にわたり保持していた。現在でも得点、安打、二塁打、三塁打、打点、盗塁のNPB最年長記録、試合出場、先発出場、打席、登板、先発登板、勝利のパリーグ最年長記録を保持しているなど、打撃や走力にも優れた選手。
プロ野球だけでなく、中等学校野球、早慶戦、都市対抗野球でも活躍し、戦前のアマチュア時代は左利きの“小さな大投手”として日本球界をリードした一人であった。
1948年成績
防御率2.51 3勝 3敗 10奪三振 17登板 60.2投球回
.316(19-6) 0本 1打点 2二塁打
球速
中学、大学時代は本当に速かったらしいが、年齢を考えかなり遅く。
変化球
ナチュラルシュートとカーブを武器にしていた。速球を右打者の外角低めに投げると、シュート回転して空振りも凡退も取れる球になり、インカーブも絶品。
回復E
年齢を考えて。1941年の明治神宮大会で2試合連続完封勝利して「41歳(数え年)の奇跡。」と書かれたりしているのでEに。
闘志
マウンドで叫んでいたらしい。
緩急◯
3球敬遠のようなボール球を投げてから勝負したり、相手を翻弄。「40代には40代のピッチングがある。」
回またぎ◯
17登板4先発完投0で60.2イニングはとても多い。