青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

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松浦宏明 (1988) 【パワプロ2018】

ゼロ戦のマツ

船橋法典高校では外野手だったが、2年生時に投手に抜擢。千葉県屈指の本格派投手として注目され、1984夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、成田高に1-0で惜敗する。高校時代は打者としても打順が四番で、通算46本塁打を記録している。同年オフに、ドラフト外日本ハムファイターズに入団。
入団2年目の1986年にはイースタン・リーグで11勝を挙げて最多勝を獲得するものの、一軍登板は1試合のみに終わった。1987年はリリーフで開幕5連勝を挙げる。敗戦処理として登板した直後に打線が活発になり、逆転勝ちを収めるケースが多かったため、ナインやファンからは「逆転のマツ」と呼ばれ、以降は抑えの切り札へ成長する。
1988年には先発投手に転向。15勝5敗4セーブで同僚の西崎幸広西武ライオンズ渡辺久信と並んで最多勝を獲得する。1989年は肘や肩の故障に悩まされるものの、1990年には11勝を挙げてチームに大きく貢献した。この頃は背番号が0だったことから、「ゼロ戦のマツ」と呼ばれることもあった。
1995年シーズン途中に阪神タイガースとのトレードが進められていたが、交渉が折り合わず決裂。その後、岡本透との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍する。同年1勝を挙げ、セ・パ両リーグでの勝利を記録。しかし、チーム事情によりシーズン終了後に退団し、そのまま現役を引退した。
日本ハム時代の同僚・田中幸雄とは一時期、義理の兄弟であった(松浦の妻と田中の妻が双子の姉妹であるため。後に松浦の離婚により義兄弟の関係は解消)。

 

1988年成績

防御率2.76 15勝5敗 153奪三振 169.1投球回

最多勝

 

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変化球

ストレートも含めた4球種すべてが決め球で、対戦相手や状態で同じ球種を続けることも、例えば全球カーブや1球ストレートの後フォーク連投するなど、あったがどれも同じくらい投げていたらしい。

ノビC、キレ◯

すべて決め球&被安打率リーグ2位の.206&奪三振率8.13

奪三振

奪三振率リーグ2位の8.13

勝ち運

前年の「逆転のマツ」&リリーフ多い中で15勝最多勝&勝率.750

四球

与四球率リーグワーストの4.15