AKB砲
1987年シーズン途中に西武ライオンズに入団。長身に加え、甘いマスクで、家族共に日本入りした姿が野球ファンの間で話題になった。登録名は最初はバンバークレオであったが、すぐにバークレオに変更されている。
西武入団1年目は外国人枠の関係もあり二軍で過ごした。
1988年は認められ、一軍の5番に定着して打ちまくり、満塁本塁打4本を含む38本塁打を放ち、チームのリーグ優勝・日本一に貢献(なお、2年目までの推定年俸は当時のレートで700万円と格安であった)。3番・秋山幸二、4番・清原和博の後を打ち、3人はAKB砲といわれた。この3人で100本以上の本塁打を打ち、他球団から恐れられた。中日ドラゴンズとの日本シリーズ第5戦では初回に小野和幸から2点タイムリーを放っている。
1988年成績
.268(366-98) 38本 90打点
チャンスC
得点圏.294(102-30)、リーグ最多の13本塁打
対左投手E
不明。左投手が先発の試合はベンチだったらしい
パワーヒッター
活躍したのがこの年だけなので
プルヒッター
引っ張り方向にリーグ最多の30本
粘り打ち
2ストライクからの本塁打が最多の20本
内野安打◯
11打数8安打4本塁打23打点
三振
120三振の三振率.328
エラー
32試合で3失策で守備率.953
通算でも守備率.932とひどい
選球眼
BB%18.1%、isoD.138