「花の28年組」の代表。シュート打ちの名人・井上登
岡崎高校卒業後、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。球団名が「中日ドラゴンズ」になった1954年からレギュラーに定着し、俊足・巧打の二塁手として同年のリーグ優勝・日本一に貢献。シュート打ちの名手であり、第7戦では西鉄・河村英文のシュートをとらえる決勝タイムリースリーベースを放つ。1955年から1958年に4年連続でベストナインに選出されたほか、オールスターゲームにも5度出場(1955年 - 1958年, 1960年)。1962年に半田春夫・寺田陽介・長谷川繁雄との1対3の交換トレードで、南海ホークスへ移籍。ここでは外野手に回り、中心打者として活躍する。1965年から段々と出場機会が減少し、1967年には中日に復帰するが、同年限りで現役を引退。
引退後は中日で二軍打撃コーチ(1970年 - 1971年, 1978年)・一軍打撃コーチ(1972年 - 1976年, 1979年 - 1980年)・二軍監督(1978年)を務め、1974年のリーグ優勝に貢献。退団後はCBC解説者(1981年 - 1995年)を務めた。
2012年5月5日、脳出血のため名古屋市内の病院で死去。77歳没。
1954年成績
.270(444-120) 0本 34打点
前回バント〇付けてたんですが、犠打が多くなりすぎるかと思い今回はなしで。