アウトローへの制球は天下一品。21勝で初優勝に貢献
岡崎高校ではエースとして活躍。1951年夏の甲子園県予選では準々決勝で時習館高に敗退、甲子園には出場できなかった。高校同期に小沢重光、1年下に井上登がおり、いずれもプロ野球で同僚となる。
1952年に名古屋ドラゴンズに入団。2年目の1953年には杉下茂に次ぐ先発投手として活躍。18勝4敗、防御率1.09(3位)の好成績を残し、勝率.818で最高勝率のタイトルを獲得。翌1954年は開幕投手として起用され21勝を記録、リーグ初優勝に貢献した。西鉄との日本シリーズでは2試合に先発し1勝1敗、チーム日本一に力を添えた。
1955年にも17勝をあげ3年連続2桁勝利、防御率1.45(2位)を記録。2年連続で開幕投手となり5連続完投勝利も記録している。しかし、その後は故障もあって登板回数が減り、1959年限りで引退した。
1954年成績
球速
杉下茂氏が自分より速く、150キロは出していたと思うといってる。
変化球、ノビB、ポーカーフェイス
以下の文章中に「ちょっと類の少ない速球で外角をつく球が三種類一つはのびる(ホップする)球一つは沈む球、もう一つはスライドする球、これが大きな効果をあげているが、これに加えて上手からのカーブがするどく落下するし、スリー・クォーターで投げる内角へのシュートが落ちる」とあるのでそれらしく。
「打たれても、好調でも淡々としている。いい球と思ったのがボールに判定されてもムキになったり、妙な顔つきを見せたことがない。」
元中日の石川克彦投手を知ってますか? - 1954年岡崎高出身で二十歳。五尺九寸... - Yahoo!知恵袋
低め◯
初球をアウトローにビシッと決めてたと、杉下さんが褒めてたので。