青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

1954年

杉下茂 (1954) 【パワプロ2020】

パワナンバー:11300 30003 16271 ほとんど杉下茂 (1954) 【パワプロ2018】と同じ。 尻上がり 完投、完封が多いだけでつけるものじゃないかなと。 牽制○ 敏捷がね足りないんですよ。そもそもエピソードあの一つでつけるのが微妙。 投手能力はできたんですけど…

1954年中日ドラゴンズ 【パワプロ2018】

【投手】 杉下茂 石川克彦 徳永喜久夫 空谷泰 服部受弘 大島信雄 【捕手】 野口明 河合保彦 【内野手】 西沢 道夫 児玉利一 牧野茂 井上登 【外野手】 原田徳光 杉山 悟 本多逸郎 控え選手はパワター設定してなかったりします。(手抜き)

大島信雄 (1954) 【パワプロ2018】

変化球 低め〇 杉下茂が「右打者の足元に落ちるボール、今でいったら縦のスライダーを持っていき、アウトコースにはシュート。そんな感じで、低めを間違えないようについていた。」と書いているので。 あとは【OB・パワプロ2018】大島 信雄(投手)【パワナ…

服部受弘 (1954) 【パワプロ2018】

コントロール 与四球率0.95とかなりいい。 クイックB 素早いモーションらしい。

空谷泰 (1954) 【パワプロ2018】

球速 ノビA 重い球 杉下茂が藤川球児に例えるほどのストレートで、150キロ後半は出ていたと思うと言っているので。また重い球で、当ててもなかなか前に飛ばなかったそうだ。 逃げ球 被本塁打率0.14は本塁打少ない当時でも凄い。 奪三振 奪三振率6.21は低いと…

徳永喜久夫 (1954) 【パワプロ2018】

回復E 当時の選手名鑑に体力がなく後半バテると書かれていた。 低め〇 ものすごい集中力で低めの厳しいところに投げていた。 内角攻め シュートが武器で特にタイガースの藤村は内角低めのシュートが打てなかったらしい。 調子安定 当時の選手名鑑に好不調の…

河合保彦 (1954) 【パワプロ2018】

チャンスC 打点多めだと思う。 走塁C 積極走塁 あまり速くないそうだが、走塁面の成績は悪くなく、日本シリーズでも暴走まがいの激走を見せたことからこのように。 内野安打〇 併殺0と走塁面の強化。

ジミー・マケーブ (1954) 【パワプロ2018】

1954年にサル・レッカと共に高橋ユニオンズに入団。 大型内野手として期待され、4番ショートに据えられたが、これが全然。ショートの守備は、ポロポロしていて、とても見られたザマではなかったらしい。肝心のバッティングもまるでダメで、打率は2割そこそ…

石川克彦 (1954) 【パワプロ2018】

アウトローへの制球は天下一品。21勝で初優勝に貢献 岡崎高校ではエースとして活躍。1951年夏の甲子園県予選では準々決勝で時習館高に敗退、甲子園には出場できなかった。高校同期に小沢重光、1年下に井上登がおり、いずれもプロ野球で同僚となる。 1952年に…

サル・レッカ (1954) 【パワプロ2018】

高橋ユニオンズの外国人捕手サル・レッカです。 メジャーリーグの経験は無いものの、1946年にはヤンキース傘下で3A級のニューアーク・ベアーズでプレーした。1954年にジミー・マケーブと共に高橋ユニオンズに入団。主にクリーンナップを任され、打率は低いな…

銭村健四 (1954) 【パワプロ2018】

日系二世の銭村健四外野手です。実父は広島出身の日系人で「日系人野球の父」と呼ばれた銭村健一郎。 広島カープが募金で集めた400万円で補強選手として兄・健三、同じく日系二世の光吉と共に来日し1953年シーズンが開始して約2ヶ月たった6月19日入団した。…

関口清治 (1954) 【パワプロ2018】

西鉄ライオンズ不動の五番打者、関口清治外野手です。 1954年成績 .276(493-136) 27本 87打点 ベストナイン 対変化球◯ 現役時代は「カーブ打ちの名手」といわれ、入団間もない豊田泰光(彼はカーブ打ちがとても苦手だった)が教えを乞うたところ、「ゼニもっ…

広岡達朗 (1954) 【パワプロ2018】

読売ジャイアンツの広岡達朗遊撃手です。 監督としても有名な人なので、説明は不要でしょう。 1954年成績 .314(341-107) 15本 67打点 出塁率.409 OPS.923 新人王 ベストナイン 守備職人、送球C 守備が上手要素。補殺多くないから守備力は低め。 人気者 早大…

鈴木武 (1954) 【パワプロ2018】

近鉄パールスの鈴木武遊撃手です。 パ・リーグ最多の44失策を記録するものの、71盗塁を記録し盗塁王を獲得する。鈴木はスパイクシューズに出資を惜しまず、バッグの中には晴天用と雨天用の2種類のスパイクを常備していた。当時の南海ホークス監督・鶴岡一人…

牧野茂 (1954) 【パワプロ2018】

マンツーマンで天知野球を勉強。「名参謀」の基礎をつくった 1951年に中日ドラゴンズに入団。華麗な守備を見せる遊撃手として活躍し1954年のリーグ優勝及び、初の日本一に大きく貢献した。1959年限りで引退。1960年に中日のコーチに就任。開幕戦直前の練習中…

井上登 (1954) 【パワプロ2018】

「花の28年組」の代表。シュート打ちの名人・井上登 岡崎高校卒業後、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。球団名が「中日ドラゴンズ」になった1954年からレギュラーに定着し、俊足・巧打の二塁手として同年のリーグ優勝・日本一に貢献。シュート打ちの名手であ…

野口明 (1954) 【パワプロ2018】

グラウンドの先生、杉下茂にピッチングのすべてをたたき込んだ アマチュア、プロの両方の公式野球で延長試合の最長を記録した試合に出場した唯一の野球選手である。 戦前は本職は捕手ながら人員不足から主に投手として活躍した後、兵役で肩を壊したため一塁…

児玉利一 (1954) 【パワプロ2018】

盲腸で2安打した豪傑。カーブ打ちの主砲・児玉利一 大分商業学校時代にセンバツ出場。 その後明治大学に進学し4番として活躍。全大分から1951年に32歳の年齢で名古屋ドラゴンズに入団。この年は内野手としてプレーしつつ、投手としても数試合投げた。翌年か…

原田徳光 (1954) 【パワプロ2018】

千葉茂を怒らせた守備の名手。球団初のサイクル男原田徳光 中京商業学校から明治大学、社会人野球の東洋産業を経て、1948年中日ドラゴンズへ入団。 1年目から主力選手として活躍。3年目には初の打率3割到達。1953年8月17日の巨人戦で中日選手初のサイクルヒ…

本多逸郎 (1954) 【パワプロ2018】

元祖ビジュアル系・切り込み隊長「パラちゃん」こと、本多逸郎 「パラちゃん」というのは、「パラダイス」の略であり、チームで若かった本多が豊橋の試合までのボールの運搬係頼まれたが、試合を放りだして、地元で催されていた「犬山パラダイス」を見に行っ…

日下隆 (1954) 【パワプロ2018】

近鉄パールスの日下隆外野手です。 1954年には近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。47試合に四番打者として起用され、自己最高の打率.296を記録し、ベストテン6位に喰い込む。同年の23補殺は外野手最多補殺日本記録。 1953年にキャリア唯一の本塁打…

大友 工 (1954) 【パワプロ2018】

大友工投手です。 オールスターファン投票選出選手はこれで終わりです。 1954年成績 防御率1.68 21勝15敗 199奪三振 278.2投球回 48登板 17完投 5完封 9与死球 内角攻め 最多与死球だから良いのではないでしょうか。

飯田 徳治 (1954) 【パワプロ2018】

「仏の徳さん」、飯田徳治一塁手です。 一塁守備でのワンバウンド送球に対するグラブ捌きは、戦前の名一塁手・中河美芳の跡を継ぐ「タコ足二世」と呼ばれた。ショートバウンドの処理は抜群で、それまであまり問題にされなかった一塁手の守りの重要性を飯田は…

別当 薫 (1954) 【パワプロ2018】

「球界の紳士」と呼ばれた別当薫外野手です。 1950年には打率.335、43本塁打、105打点を記録して本塁打王、打点王を獲得、更にはシーズン20回の猛打賞(球団記録)。パ・リーグ初代MVPにも選出され、第1回の日本シリーズ(対松竹戦)でも打率.500、3打点でこ…

木塚 忠助 (1954) 【パワプロ2018】

その強肩ぶりは「バカ肩」と呼ばれ、「イダ天」とも称された俊足と相まって人気が高かった木塚忠助遊撃手です。 守備は堅実というより華麗、守備範囲が広いうえに送球への流れの中で捕球し、矢のような球を投げた。 1954年成績 .253(443-112) 7本 30打点 37…

広田 順 (1954) 【パワプロ2018】

「カーリー」広田順捕手です。 1952年に来日し読売ジャイアンツに入団。1年目から79試合にマスクを被って正捕手となり、オールスターゲームにも出場する。翌1953年から1955年まで3年連続でベストナインを受賞するとともに、新人から4年連続でオールスターに…

森下 正弘 (1954) 【パワプロ2018】

1952年に南海へ入団。「百万ドルの内野陣」のうち、飯田徳治・蔭山和夫・木塚忠助らがまだ現役だったが、二塁手・三塁手・遊撃手などをこなせるユーティリティープレイヤーだったこともあり、1年目から一軍で起用される。1953年には主に遊撃手として46試合に…

金田 正泰 (1954) 【パワプロ2018】

1951年にはシーズン18三塁打の日本記録を樹立した金田正泰外野手です。 1954年成績 .309(463-143) 4本 35打点 28盗塁(.737) 10三塁打 流し打ち、ローボールヒッター 港の星達さんのをパクったのでよくわかんないです。

荒巻 淳 (1954) 【パワプロ2018】

「和製火の玉投手」、荒巻淳投手です。 1950年に毎日オリオンズへ入団。1年目から26勝8敗、防御率2.06の好成績を挙げ、新人王、最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得し、日本一の立役者になる。細身の体で小躍りするようなフォームから投げる球はホップし…

千葉 茂 (1954) 【パワプロ2018】

「猛牛」千葉茂二塁手です。 1954年成績 .252(433-109) 7本 48打点