青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

牧野茂 (1954) 【パワプロ2018】

マンツーマンで天知野球を勉強。「名参謀」の基礎をつくった

1951年に中日ドラゴンズに入団。華麗な守備を見せる遊撃手として活躍し1954年のリーグ優勝及び、初の日本一に大きく貢献した。1959年限りで引退。1960年に中日のコーチに就任。開幕戦直前の練習中、対戦相手大洋の「いよっ、牧野のり平!」という野次(鼻の大きさから、俳優の三木のり平にかけられていて気にしていた)に腹を立て脅かすつもりで手を放したノックバットがダグアウトにいた先発予定の秋山登の額を直撃し、病院送りにするという大惨事を引き起こしている。また、大洋はエースを欠いたこともあり、開幕6連敗しその7戦目に対戦したが、試合前に脅迫状も届いている。大学の先輩である杉下茂監督が辞任したことを受けて同年退団。

川上巨人の名参謀として川上監督の絶対的な信頼を得た。

 

1954年成績

.197(315-62) 2本 30打点

 

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チャンスB

成績の割に打点が多い。多くない?

 

以前はバント〇も付けていたのですがこちらも犠打が増えすぎると思い削除。チームプレイ〇の方にしたのは、後の巨人ヘッドコーチのドジャース戦法イメージから。