青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

王貞治 (1959) 【パワプロ2018】

王は王でも三振王

今回は前日の逆、ルーキー王貞治です。

 

1959年成績

.161(193-31) 7本 25打点

 

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弾道

川上哲治荒川博に指導を頼んだ時に、3割25本は打てる素質があるから、そのようにしてくれと言ったらしいので、当時の認識は中距離なのかなと。あと2年目17本だし。

チャンスC

.174と正直誤差だがキャリア通じて高いので。強化用①

対左投手E

左投手から放った本塁打は1本のみ

プルヒッター

この頃はわからないが、あってもよいかなと。強化用②

初球◯

デフォでついてるので付けられそうだったので。強化用③。無しだと打率1割2分とかだった。

三振

72三振、三振率.373

選球眼

出塁率.262

立浪和義 (1998) 【パワプロ2018】

レフトコンバート

内野のポジションに久慈照嘉李鍾範が加入したこともあり左翼手に転向。ナゴヤドームで第1戦が開催された同年のオールスターゲームに松井、新人の高橋由伸と共に外野手部門でファン投票選出された。

 

1998年成績

.272(504-137) 8本 43打点

 

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メインポジション

この年外野を1番多く守っていますが、二塁メインにしました。これは、外野手で作るのが面倒だった立浪はやはり二塁手だろうと判断してのことです。オールスターも二塁手で出場したしね。

満塁男

.500(6-3) 1本

打球方向別安打数
左 単打27 二塁打7   三塁打0 本塁打0
中 単打39 二塁打4   三塁打0 本塁打0
右 単打26 二塁打13 三塁打1 本塁打8
内野安打12

王貞治 (1980) 【パワプロ2018】

王貞治としてのバッティングができなくなった」

引退選手シリーズ第一弾。「世界の王」王貞治一塁手です。

ここで語ることはないでしょう。

 

1980年成績

.236(444-105) 30本 84打点 72四球 出塁率.342 OPS.803

ダイヤモンドグラブ賞

 

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チャンスB

.306(111-34)

対左投手E

左投手からの本塁打が5本。少ないと思って付けたけど本当は左投手の投球回数的に少なくなかった。でもキャリア全体的に投球回考慮しても少ない気がするし、左打者ということで許してください。

ケガしにくさB

あんま考えないで付けたけど、前年10試合欠場したりしているからでよかったかも。

走塁E

二・三塁打が少ない。

送球E

デフォに有るから。

パワーヒッター、プルヒッター

文句なしでしょう。両方あるのは強くなっちゃうけど王貞治なのでよし。

固め打ち、初球◯、逆境◯、威圧感

デフォあり。1試合3本塁打も記録してますし、どれも外さなくていいでしょう。

粘り打ち

三振率.106 BB/K1.53

むしろなぜデフォにないのか。

守備職人

9年連続ダイヤモンドグラブ賞

高速チャージ

特にバント処理に関しては他球団からも警戒されており、監督としても王のいる巨人と対戦した吉田義男阪神)も、「ワンちゃんにあれだけ迫られたらバントが成功する気が全然しない」と語っている。

 

引退年に30本ってすごいなとおもい作りました。全体的に強すぎると思いますが、特殊能力多くて基礎能力低いのがぽくて良い感じだと思います。思いません?王貞治ということで一つ。一応オーペナでいい感じになることもあるので。.260 37本くらいに成ることありますけど。

 

 

立浪和義 (1997) 【パワプロ2018】

ナゴヤドーム元年。人工芝に苦しむもサイクルヒット達成

 開幕戦の対横浜戦で盛田幸妃から初回先頭打者本塁打を放ち、ナゴヤドーム初の公式戦で同球場第1号本塁打となる。8月22日の対阪神戦ではサイクル安打を達成。しかしシーズンを通しては不調に終わった。これは土のナゴヤ球場から人工芝のナゴヤドームに本拠地が変わったことが影響した。

 

1997年成績

.269(495-133) 14本 55打点 BB/K1.83 守備率.983

ゴールデン・グラブ賞

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チャンスC

.291

対左投手B

.319

固め打ち

猛打賞12回しかないが、打率があまり高くないのとサイクルヒット記念に

打球方向別安打数
左 単打22 二塁打6   三塁打0 本塁打1
中 単打28 二塁打4   三塁打2 本塁打2
右 単打34 二塁打14 三塁打1 本塁打11
内野安打8

サル・レッカ (1954) 【パワプロ2018】

高橋ユニオンズの外国人捕手サル・レッカです。

メジャーリーグの経験は無いものの、1946年にはヤンキース傘下で3A級のニューアーク・ベアーズでプレーした。1954年にジミー・マケーブと共に高橋ユニオンズに入団。主にクリーンナップを任され、打率は低いながらリーグ4位の23本塁打を放ち存在感を見せた。翌年成績を落とし退団。珍しい捕手の助っ人外国人選手であり、高橋ユニオンズ史上唯一のシーズン二桁本塁打達成者である。

 

1954年成績

.200(429-86) 23本 67打点

 

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またまた大部変えました
基礎能力

弾道とパワーは打低なので高めに。

肩は強そう強いとの記述がないので下げた。

守備はあんまりよくなさそうキャッチャーフライを捕らせたら日本一とのことなので守備の動きが機敏だろうと思うので。

捕球はフライを捕るのが上手かったらしいのと、同じ外国人捕手のルイスよりは捕球がましと新聞にかいてあったのでルイスより高く。(そもそものルイスの捕球高くしすぎたかも)あと捕逸も少ない。

チャンスEチャンスB

弱いチームの低打率ホームランバッターっぽさ。前の出塁率の低さ、本人の打率の低さ的に本塁打の多さを差し引いてもに打点が結構多いと思う。

対左投手A

本塁打23本中11本が左投手から。Aにするのは気が引けたが、左投手は20~25%程なので思い切って。

キャッチャーE

弱いチームの正捕手っぽさ。強打の外国人捕手というキャラ的にはEがいいと思ったが、外国人捕手が理由で困ったこともなさそうなのと、レギュラーなので。やはり意思疎通がままならなかったらしいので。

送球E、エラー

キャッチャーで12失策は多い。送球は悪いとは見なかったがぽいから。

プルヒッター

低打率高三振のホームランバッターはそうっぽい、特にこの時代は。

三振

117三振で三振王。当時のパリーグ記録。

調子極端

ぽい。いらんかったかも。

慎重打法

それなりに四球もある。

ユニフォーム

高橋ユニオンズ大映スターズに吸収合併されたので一応ロッテ系列と言うことにはなるが、実質的には解散のようなものでありその時点での消滅したと考え、新規参入球団の共通点がある楽天にしました。

 

追記

サヨナラ本塁打とサヨナラ二塁打のサヨナラ打2本打っていたことが判明しました。サヨナラ男をつけるに値すると思いますが、再作成は未定。

立浪和義 (1996) 【パワプロ2018】

自己最高打率を記録し、初のベストナイン受賞

オールスターゲーム二塁手部門でファン投票選出。自己最高の.323の打率を残すが、チームメイトのアロンゾ・パウエル辻発彦との打率争いに敗れ(リーグ3位)、首位打者獲得はならなかった。この年、自身初のベストナインに選出される。また2年連続でゴールデン・グラブ賞受賞。キャリア唯一の全試合出場。

 

1996年成績

.323(511-165) 10本 62打点 守備率.988

ベストナイン ゴールデン・グラブ賞

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対左投手C

.365

満塁男

.417(12-5) 0本

打球方向別安打数
左 単打25 二塁打13 三塁打0 本塁打0
中 単打44 二塁打9   三塁打1 本塁打3
右 単打35 二塁打17 三塁打1 本塁打7
内野安打10

 

銭村健四 (1954) 【パワプロ2018】

日系二世の銭村健四外野手です。実父は広島出身の日系人で「日系人野球の父」と呼ばれた銭村健一郎。

広島カープが募金で集めた400万円で補強選手として兄・健三、同じく日系二世の光吉と共に来日し1953年シーズンが開始して約2ヶ月たった6月19日入団した。広島駅前広場は三選手を見ようと6000人のファンが集まり「故国へ帰った銭村兄弟」を迎えた。続いてオープンカーによる市中パレードは、天皇巡幸をしのぐ10万人の人出となり、紙吹雪が舞った。三人の加入が人気を呼び、健四と光吉が初出場した6月21日の巨人戦は広島総合球場は同球場始まって以来の超満員となった。
小柄ながら健四は抜群の走塁や好守備でファンをわかせ、大活躍し、広島の中心選手としてプレーを続けた。1953年には金山次郎と一、二番コンビを組み、球団初の4位に貢献。1954年にはオールスターゲームに初出場した。金山にはよくかわいがられ、1955年には同じ日系人で大学の先輩である平山智を自ら招き入団させ、金山、健四、平山の俊足トリオは広島の走る野球の原点となった。1956年に引退。

 

1954年成績

.259(471-122) 4本 29打点 27盗塁(.750)

 

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チャンスE

打点少ないかなと思って、なくてもよかったかも

ホーム突入

港の星達さんについていたので。調べたら体当たりをやめろとチームメイトに言われたらしい。