落合博満 (Switch版) 【パワプロ2018】
先日発売されたNintendo Switch用ソフト「実況パワフルプロ野球」に収録されている落合博満をほぼ再現しました。成績と年齢を1985年のものにしています。
公式のと違う点
・人気者
表示上無いですが、例の如くマスクデータとして付いてると思うので追加。
・一塁適性
なぜかポジションレベル4(守備力50%)になってますが、一塁での出場が多いので6(守備力80%)に上昇。そもそも再現不可能なのですが。せめて4くらいは設定させて欲しい。
おまけ
監督としてはこんな感じです。落合監督でチームを黄金期に導いてみては。
眼鏡かけたバージョン。
堂上直倫 (2019) 【パワプロ2018】
前半戦で自己最多の7本塁打
今年は神主風打法に取り組み、前半戦で自己最多、チーム2位の7本塁打を放っています。後半戦はもっと出番が増えての二桁本塁打に期待。
2019年前半戦成績
.208 7本 20打点 OPS.731
守備適性
ここ3年二塁での出場がメイン。三塁は今年守ってないのと通算で守備率が低いのでレベル6。
打撃
116打席101打数で7本塁打。これは村上宗隆や鈴木誠也以上のペース。なぜこんなに打っているのに使われないのか。打率は低いけど長打率もOPSもチーム上位なのに。
守備走塁
走力Cは流石に違うと思ったのでD、捕球も今年は少し失策が多めなので微減。肩守備はデフォがいい感じだと思った。
チャンスB
得点圏打率は.222だが27打数4本塁打が効いて長打率.704、OPS.980と、得点圏直倫は実質山田哲人。
対左投手C
得点圏と逆に対左投手打率は.243だが、OPS.777とあまり高くない。
盗塁D 慎重盗塁
直倫はほとんど盗塁はしないが、前述しましたがデフォでは守備の動きの再現か走力が高いので、代わりに盗塁Eが付いている。しかし盗塁企図が少なく、通算4盗塁2盗塁死で成功率もそこまで低くないのでこの形が適切かと。
満塁時.333(6-2) 2本塁打
三振
三振率.287
強振多用
野口二郎 (1946) 【パワプロ2018】
31試合連続安打
皆さんご存知「鉄腕」野口二郎です。
1946年は33登板しつつ外野手として66試合に出場し、当時日本記録の31試合連続安打(8月29日 - 10月26日)を記録した。
この間、31試合131打数48安打で打率.368、二塁打3本、三塁打3本、本塁打0本、15打点。投手として13試合に登板、5勝5敗の成績で、うち7試合に先発し3試合に完投、12奪三振、自責点12で防御率は2.60だった。
また打率9位、防御率5位で投手打者共にベストテン入り。
1946年成績
防御率2.67 13勝 14敗 39奪三振 212投球回 WHIP1.14
.298(336-100) 1本 44打点 8盗塁(.889)
回復B
33登板しかしてないが、二刀流は甘めに。
打球反応◯
ぽい。
低め◯
ぽい。1948年に13無四球完投してる。
緩急◯
戦前は速球派でもあったそうだが、戦後は筋力低下で技巧派に。
一発
被本塁打率0.382自体は低いが、リーグ平均が0.254でワースト3位。イニングが多いとは言え2度最多被本塁打になるなど、全体的に被本塁打が多い。あとコントロール高いしいいでしょう。
投手調子安定
WHIP1.14はリーグ1位の安定感。
盗塁C
8盗塁1盗塁死で成功率.889。
走塁C 積極走塁
三塁打7本。
送球B
外野66試合で補殺6。
粘り打ち
三振率.024でリーグ2位。
野手調子安定
一言多十 (1946) 【パワプロ2018】
ひとこと・たじゅう
珍名プロ野球選手で有名な選手です。
島田商業学校時代、1937年春・夏、1938年春は外野手として、1939年春からはエースとして4季連続、計7回甲子園に出場。1940年夏準優勝。夏の大会では1939年の準決勝、1940年の決勝で2年続けて、嶋清一・真田重蔵のエースを擁した和歌山県の海草中学校の前に惜しくも涙をのんだ。1940年選抜では2回戦で対戦し勝利している。
1941年専修大学へ進学。五大学リーグでは1年春のリーグ戦からエースとしてノーヒットノーランを記録するなど活躍したが、1943年戦争のためリーグ戦が中止。学徒出陣した。1945年海軍特攻艇に配属されたものの出陣しないまま終戦を迎えた。
1946年、セネタースに入団。開幕投手を務めシーズン6勝を挙げる傍ら、野手としても規定打席到達という活躍を見せた。
この年の4月29日の対中部日本戦では当時日本プロ野球歴代2位の13与四死球を記録するものの、中部日本が無死満塁などの場面で1試合で4併殺するなど拙攻に助けられ、野手の失策の1失点にとどめて、自責点0で完投勝利をおさめており、最終的なスコアは6対1。この記録は、1994年7月2日、野茂英雄が西武ライオンズ戦で16与四球完投勝利を挙げるまで、最多与四球勝利投手のプロ野球記録だった。
1946年成績
防御率4.71 6勝 13敗 49奪三振 149投球回 11完投
.232 0本 22打点 18盗塁(.643) 70四球 出塁率.367
全体的に想像上の能力なのであしからず。
変化球
「フライヤーズのミラクル投手、一言多十さんだ。その頃は変化球を多投するピッチャーをミラクル投手と呼んだ」との事なので、3球種で当時メジャーな球種を採用。
ナックルってミラクルっぽいじゃん?
球速
肩力がこんなもんだから。あと変化球主体ということはあまり速くなかったのかなと。
打たれ強さE 乱調 調子極端
完投以外の14登板12先発で約50イニングしか投げてないように早期降板が多く、1イニングに大量失点も多い。ちなみに開幕戦は1アウトも取れずに降板している。(3失点)
逃げ球
本塁打が少ない時代とは言え、被本塁打率0.12は平均0.25の半分以下。
チャンスE
打点少ないと思った。
三振 選球眼 慎重打法
三振率が平均.083に対しワースト3位の.148と多い。また四球率17.2%はリーグ2位であり、待ち球傾向。
森本学 (2009) 【パワプロ2018】
まなぶじゃないよ!さとるだよ!!
シダックスから入団し内野のユーティリティープレイヤーとして活躍。
2009年は開幕戦で松田宣浩の骨折で途中出場。その後も勝負強い打撃を買われスタメンに定着した。松田の復帰後は年間を通じて内野手のバックアップ要員に定着。不調が続いた川崎、本多の代役としてスタメン出場することもあった。松田の二度の長期離脱で空いた三塁を71試合守ったのをはじめとして、一塁手9試合、二塁手10試合、遊撃手も1試合務めて内野の全ポジションで出場した。明るい性格でファンも多く獲得し、ムードメーカーの役割も担った。
2009年成績
.256 0本 20打点
チャンスC
得点圏打率.298
規定未満なので厳しめに。
対左投手C
対左投手.286
ケガしにくさE
入団年に大ケガ、2008年にも骨折をしている。
盗塁C
8盗塁 成功率.800
走塁C
300打席弱で三塁打3本はそこそこ。代走もするし。
送球C
守備要員だし、失策少ないので。