1950年ばかりでつまらないのでその前年。この年も好成績ですし、なにより「らしい」のではないでしょうか。
弾道3
1950年の51本塁打の印象が強いですが、それ以外は20本すらこの年だけなので、本来は中距離バッターだと思います。
走塁B
リーグ七位の三塁打8本。
固め打ち
129試合で猛打賞18回(多分)。
ゴルフスイング打法を指導した新田恭一は「インパクトの瞬間まで、ボールを引き付けなさい。それと、投手が狙うのは、低めなんだから、低めを引きつけて打ちなさい」といっていた。(杉下茂『伝える』)
また「下からアッパースイングで打つ打法」という誤解がありますが、これは他の打者が前で当てるバッティングで低めをあまり打てない中、低めを打っていたことも原因だったと想像します。アッパースイングは低めを打てると言いますし。
「すくって打つように言われていたのは心外。僕自身、低目は好きだったが高目もしっかり打った。だいたいゴルフだって当たるまではダウンスイングでしょ」と本人談。(「プロ野球データファイル」)
併殺
1950年以降しか記録されていないのですがどの年も多め。
選球眼
四球率リーグ三位の.130。ちなみにリーグ平均は.079。