MLBシーズン最多打点記録
ペンシルベニア州生まれのウィルソンはメジャーデビュー前はボールドウィンの機関車工場で重いハンマーを振るっていた。それによって、彼の逞しい上半身がつくられた。
1923年ニューヨーク・ジャイアンツでメジャーデビューするも、数年間はマイナーとメジャーを往復する生活を送る。初めの守備位置はキャッチャーだったが足を骨折したのがきっかけで外野手となった。
1925年7月1日20世紀ナショナルリーグ初の1イニング2本塁打を放ち、同年オフにカブスに移籍、名監督ジョー・マッカーシーのもと強打者として実力を発揮。移籍1年目は打率.321、21本塁打、109打点で本塁打王を獲得。1928年まで3年連続本塁打王のタイトルを獲得し、『ナショナルリーグのルース』と呼ばれた。1929年には打点王を獲得し、チームを12年ぶりのリーグ優勝へ導いた。
1930年、チーム打率が.309(ナショナルリーグ全体でも.303という脅威の打者天国だった)という状況の中、ウィルソンはナ・リーグ新記録(当時)の56本塁打を記録、あわせて1927年にルー・ゲーリッグが記録した175打点の大リーグ記録を更新し、191打点を記録した。
翌1931年ロジャース・ホーンスビーが兼任監督に就任した頃から成績は下降し、オフに放出。その後ドジャース、フィリーズに移籍しても、二度と1930年のような打棒は蘇らなかった。1934年に現役引退。
引退後、1941年からはボルチモアに居住。軍需工場勤務を経て市の公園管理部で働き、最後は市営プールの管理人を務めていた。1948年11月23日、体調を崩して入院していたボルチモアの市立病院で死去。死因は肺炎様症状の合併症による内出血。晩年は生活苦で、ナ・リーグが葬儀代を送るほどだったという。
1979年に、ベテランズ委員会によってアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
1930年成績
.356 56本 191打点 105四球 84三振 長打率.723 OPS1.177
チャンスD
MLBシーズン最多打点記録なので、さぞや得点圏で打ちまくっているかと思いきや、打率.366OPS1.103と通算と大差なく、むしろ悪いくらいである。
対左投手E
打率.325OPS1.025とあまり打てていない。
広角砲
判明している46本中28本が逆方向であるライト。通算でも判明している192本中ライトに133本、右中間に5本、逆方向に134本となっている。
これは当時、本拠地リグレー・フィールドの右翼が321ft(約97.8m)しかなかったのも関係しているだろう。(反対に左翼は364ft(約110.9m)と広く、左中間と右中間も同様の364ftであり、中堅に至っては436ft(約132.9m)もある。)
流し打ち
分かっている140安打中71安打が流し方向。
初球◯
三振多いと言うことは反対に早いカウントの成績がいいかと思うので。強くするためでもある。
威圧感
ナショナルリーグのルース。
三振
三振率は当時としては高く、4年連続三振王。
エラー
19失策でリーグ最多。
併殺
21併殺。
人気者
人気だったかは分からないが、ナショナルリーグのルースなので。