この年創設された新球団高橋ユニオンズに入団。7月18日の東映フライヤーズ戦で初勝利。3勝のうち2勝を完封で飾る活躍を見せるが、8月26日に"右肩痛"を理由として突然帰国。実際はドゥールの本職はハワイの学校の教員であり夏休みを利用した2カ月の短期契約で来日、球団側も野球協約に違反しているのを承知で契約したと言われる。
1954年成績
変化球
球は遅かったが、カーブ、ナックル、落ちるシュートを投げていた。直球も変化させていたとのことなので、シュートをツーシームに。
対ピンチB
対ピンチ判定表より
対左打者C
左打者からの被本塁打0。
ケガしにくさF
実際にケガしてたわけではなさそうだが、ケガを理由に退団しているので。
ノビE→軽い球
変化球多投しているので。→被安打率がいいのでなし。その代わりというか、よく見たら被本塁打率が良くはなかった。
尻上がり、スロースターター
7先発中初回に失点したのが5回で合計9失点と、大半の失点が初回(全失点19)。3完投2完封しているように中盤以降の失点は少ない。