佐藤孝夫 (1957) 【パワプロ2018】
2リーグ制史上最小本塁打王
22本塁打を放ち、本塁打王を獲得。なお国鉄球団においての日本人打者のシーズン本塁打王はこの年の佐藤が最後でヤクルトになってから2015年に山田哲人が同タイトルを獲得するまで長い期間が経っていた。躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で親しまれた。同年、打率.256で打率十傑の10位になっている。この打率は2リーグ制開始以降、現在に至るまで、打率十傑にランクインした中では最も低い数字である。
1957年成績
.256 22本 68打点
打撃能力
どちらも2リーグ制史上最低成績だけど、打率10位本塁打1位は今だと3割40本くらいなので成績よりは強く(謎理論)
当時20本打てば長距離打者だろうということで弾道4
パワーヒッターは自重した
チャンスC
打点リーグ2位
ケガしにくさE
隔年で出場が100試合以下
三振
当時としては多め。最多三振にも
欠端光則 (1988) 【パワプロ2018】
白熊クン
重い速球とフォークボールを武器に主に先発投手として活躍し、当時慢性的な投手不足だった大洋のローテーションを支えた。なかでも当時全盛の強さを誇っていた広島東洋カープに強く「カープキラー」の異名をとった。当時、横浜大洋のエースだった遠藤一彦が怪我をした際には、2年続けてチーム最多勝利を記録。1988年4月8日にはナゴヤ球場での中日ドラゴンズ戦で開幕投手を務め完投勝利。また、この年キャリア唯一の二桁勝利となる11勝をあげた。先発以外でも中継ぎとして連投やロングリリーフをこなし、1992年にはセ・リーグ最多登板を記録するなどタフネスな働きぶりを見せた。晩年は肘の故障に悩み、1994年限りで現役を引退。打者としても通算3本塁打を打っている。
1988年成績
防御率3.22 11勝8敗1セーブ 94奪三振 151投球回 51登板
対強打者◯
85年は、三冠王のバースを打率.182に抑え込むなど、各チームの主軸をカモに。広島の山本浩二は打率.200、巨人の原辰徳は打率.100、中日の宇野勝は打率.167、ヤクルトの若松勉は打率.077。