ロジャー・マリス (1961) 【パワプロ2018】
ルースを越えた男www.baseball-reference.com
本日10月1日は、1961年にロジャー・マリスが第61号本塁打を放ち、記録更新を達成した日です。
1961年成績
.269 61本 141打点 132得点 366塁打
弾道3
ヤンキー・スタジアムにおあつらえ向きのフェンスギリギリの低いライナーの当たりが多かったらしい。アーチストではないのも同様の理由。
引っ張り屋
55本が引っ張り。恐らく引っ張りだけの歴代最多記録。
粘り打ち
リーグ平均三振率15.2%に対し11.4%と少なく、BB/K1.40とかなり優れているので。ミートの低さと強振多用で三振が多くなることへの補填でもある。
テッド・ウィリアムズ (1941) 【パワプロ2018】
最後の4割打者
MLB史上最高の左翼手とも称され、三冠王を2度獲得、通算出塁率.482はメジャー歴代1位。
1941年には打率4割の期待がかかり、シーズン最終日にフィラデルフィア・アスレチックスとのダブルヘッダーを残して打率.3995。打率は毛を四捨五入して厘の値までとなり、規定打数に達しており、この時点でも記録上は打率4割となるため、周囲からは欠場を勧められた。しかしウィリアムズはダブルヘッダーに出場。最初の打席で、球審のビル・マゴワンがホームプレートを掃きながら、「4割を達成したいなら、力を抜くんだぞ」と言ったという。ウィリアムズは同2試合で8打数6安打を記録し、打率4割を6厘上回り、23歳1か月で、1911年にジョー・ジャクソンが打率4割を記録した24歳2か月という4割打者の最年少記録を塗り替え、首位打者・本塁打王のタイトルを獲得した。これ以降、メジャーで打率4割を記録した者はいないため、最年少記録を出した選手が最後の打率4割達成者となっている。また、試合に出場した理由として、四捨五入で4割となるため実際は4割ではなかったと言われるのが嫌だったと語っている。同年シーズンは打点が120で、あと5打点稼いでいれば125打点のジョー・ディマジオに並び三冠王だった。
1941年
.406 37本 120打点 147四球 OBP.553 SLG.735 OPS1.287
走力 盗塁E 走塁C
「俊足」に恵まれなかったようだが、若い頃は39年40年に11、14と2桁三塁打を記録しているのでそれなりだったと思う。映像でもスピード感のある走塁やスライディングを見せている。
盗塁は企図は少ないが成功率が低いのと走力を上げたので下げ、走塁は前述の通り三塁打が多い年もあるが、41年は三塁打3本しか記録していないので間を取った。
対左投手E
意外に通算でも苦手にしている。
送球C
時代もあるが毎年のように2桁補殺を記録。
プルヒッター
クリーブランド・インディアンスの監督ルー・ブードローは、内野手を右に寄せるブードローシフトと呼ばれる作戦をあみ出した。この作戦は、後年に日本プロ野球で王貞治に対して組まれた王シフトの原型となった。
固め打ち
4安打3試合、3安打12試合。
初球◯
「特に第一ストライクを狙う事が強打者になる第一の秘訣。と言うのはストライクを逃せば、それだけ打者に不利なカウントになる。そうすると投手も思い切ってドンドン投げてくる。こんな簡単な事が分からない打者が今の野球には多過ぎるんじゃないかな。第一ストライクを打つ打者が沢山いるチームは必ず好成績をおさめる。また、それこそがプロ野球だ」と述べている。
ロベルト・クレメンテ 【パワプロ2018】
ヒスパニック系選手の先駆け
通算成績
WAR94.5 AB9454 H3000 HR240 BA.317 R1416 RBI1305 SB83 OBP.359 SLG.475 OPS.834
タイトル
首位打者 4回:1961年(.351)、1964年(.339)、1965年(.329)、1967年(.357)
表彰
アメリカ野球殿堂 表彰:1973年(有資格1年目、得票率92.69%)
コミッショナー特別表彰:2006年
ナショナルリーグMVP 1回:1966年
ゴールドグラブ賞 12回:1961年 - 1972年 ※ウィリー・メイズと並び外野手として歴代最多タイ
ワールドシリーズMVP 1回:1971年
ベーブ・ルース賞:1971年
月間MVP 3回:1960年5月、1967年5月、1969年7月
記録
MLBオールスターゲーム選出 12回:1960年 - 1967年、1969年 - 1972年
メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チーム ノミネート:1999年
ラティーノ・レジェンズ・チーム 選出:2005年
DHLホームタウン・ヒーローズ 選出:2006年
フランチャイズ・フォー 選出:2015年
通算試合数:2433(ピッツバーグ・パイレーツ球団記録)
通算打数:9454(同上)
通算安打数:3000(同上)
通算塁打数:4492(同上)
通算単打:2154(同上)
背番号
13(1955年 - 同年途中)
21(1955年途中 - 1972年)※ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番
1967年を基に通年要素を加えています。
肩力100 ストライク送球 高速レーザー
「ペンシルベニアで投げたボールがニューヨークまで届く」との事なので本当は1300くらい欲しかった。
という冗談は置いといて、1961年に記録した27補殺を越える記録はナショナルリーグでは1936年Gene Mooreの32補殺、MLB全体でも1944年Stan Spenceの29補殺まで遡る。
広角打法
1967年に9本、通算でも92本、逆方向へのホームランが確認されている。
固め打ち
通算で8度の5安打、39度の4安打、227度の3安打と1試合3安打以上の試合が274試合。1967年にも5安打1試合、4安打2試合、3安打17試合。
三振
三振率自体が特別多いわけではないが、ミートや特殊能力の兼ね合いで。1966年、1967年と2年連続で100三振をしているのもある。
併殺
1960年に21、1963年に24で最多併殺。