1955年前年帰国したジミー・マケーブの穴を埋めるために高橋ユニオンズ(トンボ)へ入団。 これは本人自らの強引な売り込みによるものだった。
当初は3番を期待された。しかしあまりの確実性のなさから打率が低迷した。また、高橋が弱小球団と言うのもあったのか無気力プレーが目立った。しかし当時は外国人がまだまだいなかったためサル・レッカ共々人気はあった。
打撃は「当たれば飛ぶ」が確実性に欠け、打率が低迷した。しかし、長打は魅力だったことは確かであり、188打数で6本塁打(チーム2位)を記録している。
守備は外野を守る際一歩前進してからバックしていた。ある日レフトへのゴロヒットをトンネルしてしまい塀に向かって走ったが、塀に当たってはね返ってきたボールをまたトンネルし、ショートが拾うという珍プレーをした。
ちなみに、自称金満家らしく「報酬はどうでもいい」と豪語し、帝国ホテルの一室で暮らしていたらしい。報酬は月10万円だったそう。
1955年成績
.223(188-42) 6本 26打点
肩力 送球F
外野補殺多い時代で0はね。
対左投手B
なんとホームランの5/6本が左投手から。打席少ないのでBに留めておいた。
ケガしにくさE
なぜかシーズン後半欠場してるのでそうなのかなと。詳しい方はお教えください。
一体どうしてシーズン途中に背番号変更があったのだろうか。