青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

ダグ・デシンセイ (1988) 【パワプロ2018】

東京ドーム第1号本塁打

1970年のMLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。1973年9月9日の対クリーブランド・インディアンス戦(クリーブランド・スタジアム)の7回表にブルックス・ロビンソンの代走として出場しメジャーデビューを果たす。1976年に三塁手のレギュラーに定着。1979年にはワールドシリーズに出場し、第1戦で本塁打を放つ。
1982年にカリフォルニア・エンゼルスにトレードされると、同年は打率.301、30本塁打、97打点と活躍し、シルバースラッガー賞を獲得。翌1983年にはMLBオールスターゲームに出場した。以後、1987年にジャック・ハウエルに三塁の定位置を奪われるまでエンゼルスの正三塁手として活躍した。シーズン途中の9月にエンゼルス解雇後、シーズン残り7試合でセントルイス・カージナルスと契約。地区優勝を争っていたカージナルスはジャック・クラークの故障で4番打者不在となり、急遽獲得した。チームは地区優勝を果たしたが、プレーオフ出場資格がなかった(プレーオフに出場するためには8月31日までに契約し、チームに帯同していなくてはならない)。
1988年、1月20日NPBヤクルトスワローズへの入団が発表された。38歳と年齢的な衰えは隠せなかったが、それでもNPB初打席初本塁打・東京ドームの公式戦第1号や、史上5人目の2試合連続サヨナラ本塁打(2試合とも1点ビハインドで9回裏2死一塁という場面だった。2試合連続逆転サヨナラ本塁打は史上初)を放ち存在感を示した。同年限りで現役を引退。

 

1988年成績

.244(291-71) 19本 44打点

 

f:id:Harumaki_0924:20190508180127j:plain

f:id:Harumaki_0924:20190508180133j:plain

f:id:Harumaki_0924:20190508180138j:plain

 

対左投手B

不明なのでカメハさんに倣って前年のMLBでの成績を参考。

対右投手.207 9本 38打点 OPS.645 339打席

対左投手.282 7本 26打点 OPS.870 200打席

ケガしにくさF

80年頃からヘルニア持ちで、それがMLBで契約取れずに日本に来た一因でもあり、結局8月頃に治療で帰国してそのまま契約解除になって引退。

送球C

守備が良かったらしい。実際MLBでも平均以上の守備成績を残している。あと失策が三塁では一塁より少ないので。

プルヒッター

MLBで打球方向が判明している167本中77.2%にあたる129本が引っ張り。

逆境◯

サヨナラ本塁打が2試合とも1点ビハインドで9回裏2死一塁という場面での逆転ということと、昨年MLBで7回以降.294 10本とよく打っており、また少ない出場ながらチーム内2位となる勝利打点8。

エラー

一塁で39試合6失策で守備率.984と悪いが、三塁ではそこそこなので捕球はそれなりに。

 

実はMLB通算のWARが40を超えてる名選手。