ケガに苦しんだ二年目も、最後に光明
二年目は前年春に痛めた右肩の故障の影響で開幕を二軍で迎え、結局シーズン30試合出場にとどまる。星野の意向により一度は手術が決定し8月に渡米するが、診察したフランク・ジョーブは手術を見送り、「肩のまわりの筋肉を鍛えれば治る」とアドバイスした。診察のとき手術を避けようと、頑なに「痛くない。」と言い張ったことを汲み取ってくれたのでは、と自身の著書に記している。また、この年の故障によって体調の管理に気をつけるようになったと後年語っている。終盤に一軍復帰し、その後閉幕までの19試合の間に打率3割の好成績を残し、来年への期待も持たせた。
1989年成績
.235(85-20) 2本 8打点 守備率.971
基礎能力
肩はケガがあるので大幅に下げて、守備もついでに下げました。送球も同じ理由で削除。
チャンス、対左投手
不明
盗塁E
3盗塁6盗塁死 成功率.333
企図数が少ないので抑えめに。
走塁C
30試合100打席で二塁打6本3塁打1本。
流し打ち
まず打球方向別安打数
試合数少ないけど立浪なので良いのではないでしょうか。
内野安打◯
3本で安打の15%
併殺
85打数で3本は多い。
装備品
プロ野球カードを見て設定してますが、両手に赤いリストバンドをしているのもあったのでお好みで。
情報や査定の文句批判改善案その他などあればよろしくお願いします。