青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

原田徳光 (1954) 【パワプロ2018】

千葉茂を怒らせた守備の名手。球団初のサイクル男原田徳光

京商業学校から明治大学、社会人野球の東洋産業を経て、1948年中日ドラゴンズへ入団。
1年目から主力選手として活躍。3年目には初の打率3割到達。1953年8月17日の巨人戦で中日選手初のサイクルヒットを記録。1954年には2番ライトの定位置でチーム初の日本一に貢献した。1958年に現役を引退。
その後は、中日コーチ、東海ラジオ放送プロ野球解説者兼同局スポーツ課長などで活躍し「ホトケのトクさん」の愛称で親しまれた。しかし、晩年は健康に恵まれず1971年(昭和46年)に解説者を引退。以降は定年退職まで同局で勤めた。1976年56歳で敗血症により死去。
強肩の持ち主で、1950年はシーズン21補殺を記録(2010年現在の球団記録)。またポジショニングがうまく、千葉茂が「原徳(はらとく)さえいなければ、俺は生涯打率3割だった」と語っていたという(実際の打率は0.284)。

1956年から原田督三。

 

1954年成績

.239(465-111) 6本 42打点 26盗塁(.667)

 

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チャンスC

打点が多いように思う。

 

本多と違い対左投手Dなのはなんとなく。

あとはらしく。

守備力は評価がかなり高いので盛り盛り。