1952年に南海へ入団。「百万ドルの内野陣」のうち、飯田徳治・蔭山和夫・木塚忠助らがまだ現役だったが、二塁手・三塁手・遊撃手などをこなせるユーティリティープレイヤーだったこともあり、1年目から一軍で起用される。1953年には主に遊撃手として46試合に先発出場。1954年は開幕から二塁手、六番打者の定位置を獲得、初の規定打席(打率.285)にも達する。同年はオールスターゲームに初出場、ベストナインにも選出された。1955年には遊撃手、三塁手としてリーグ優勝に貢献、読売ジャイアンツとの日本シリーズでも全7試合に先発出場するが、22打数4安打1打点とあまり活躍の場はなかった。同年は盗塁王を獲得。1954年から1956年にかけて3年連続50盗塁を記録している。
1956年から森下正夫、1959年から森下整鎮(のぶやす)に改名。
1954年成績
.285(498-142) 6本 58打点 51盗塁(.823)