巨人から移籍し、コーチ兼任の傍ら、4番打者として打率.291(リーグ12位)を記録し、ベストナイン三塁手のタイトルを獲得する。また、宇野は対巨人戦で打率.338を記録したが、チームも同年4月4日から6月20日まで巨人相手に8連勝し、宇野の闘志が国鉄に乗り移ったといわれた。
1954年成績
.291(474-138) 7本 56打点 19盗塁(.864)
高速チャージ
故障により肩が万全でなかったため、三塁守備では浅い守備位置を取っていたとのことなので、前への守備力を上げる意味で。
積極守備
ボールを決して恐れず、千葉茂によると水原と宇野がゴロの打球から逃げたのを決して見たことがなかったという。