青竹龍尾〜パワプロ選手館〜

パワプロで選手を作ってます。

西沢 道夫 (1954) 【パワプロ2018】

エースから主軸への華麗なる転向。初代「ミスタードラゴンズ」、永久欠番「15」

1954年は打撃コーチ兼任で主砲として、チーム初のセ・リーグ優勝と日本一に貢献した。

 投手・打者として活躍したというだけでも稀有な選手(他には同時期に同チームで活躍した服部受弘や、近鉄、巨人で投手・打者として活躍した関根潤三など)だが、その双方でレベルの高い活躍を見せた。後年の二刀流・大谷翔平のような投手・打者の同時進行というわけではないが、投手として20勝(1940年)、打者として40本塁打(46本塁打、1950年)の双方を記録したのは日本プロ野球史上では西沢だけである。
バットは、川上哲治も驚くほど極端にグリップの細いものを使っていた。そのため、長谷川良平のシュートには何本もバットを折られ、ある時長谷川に「これ以上シュートを投げないで欲しい」と懇願したという。 

 

1954年成績

.341(498-179) 16本 80打点

ベストナイン

 

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対左投手C

16本塁打中6本が左投手。右のプルヒッターは左投手が得意なイメージがある。

ケガしにくさE

当時の選手名鑑動画を見ていたら「例年怪我に左右され全力を出し切れない」とあったので。
送球E

投手時代非常に四球が多かったので。

アベレージヒッター

3割4分超えてるし3年高打率だからよいかなと。

プルヒッター

「伝える わたしが見てきた80年」に「右手の力が想像を絶するほど強かった」から、「内角高めを得意とする引っ張り専門の打者だった」ので、「相手は三遊間やレフト寄りを厚めに守ったほどだ」とある。

固め打ち

猛打賞19回。去年話題になった月間猛打賞記録8回も記録。

逆境〇

上記と同じ本に1954年に9回裏ビハインドから同点ホームランを放ったことを例に挙げ、「打ってほしいときに打ってくれる、本当に頼りになる人だった。」とある。

満塁男

1950年に満塁本塁打5本の日本記録。やはり外せないだろう。

併殺

16併殺。