「黒バットの南村」です。
早稲田大学、横浜金港クラブを経て1950年に新規結成された西日本パイレーツに32歳で入団し、翌1951年に西日本の球団消滅により読売ジャイアンツに移籍し、1957年に40歳で現役引退した。
1954年には不可止から侑広に改名し、三番打者を務めた。
巨人がリードされている試合の7回の攻撃になると、南村が鋭く渋い声で放つ「時間だよ、行こうぜ」とのかけ声をきっかけに、巨人が逆転することがしばしばあった。
1954年成績
.285(466-133) 7本 61打点 18盗塁(.692)