杉下茂 (1954) 【パワプロ2018】
1954年のプロ野球は杉下茂の年だといっても過言ではないだろう。この年杉下茂は防御率1.39(最優秀防御率)、32勝12敗(最多勝)、勝率.727(最高勝率)、273奪三振(最多奪三振)、7完封(最多完封)を記録し、日本プロ野球史上4人目、2リーグ分立後初となる投手五冠王に輝き、中日ドラゴンズを初優勝に導いた。特に優勝を争った読売ジャイアンツからは、この年にチームが挙げた14勝(12敗)のうち、11勝(5敗)を杉下一人で稼いだ。また、巨人以外にも国鉄スワローズとの試合に敗れたら優勝を逃すことから、国鉄のエース・金田正一と投げ合って全勝を収め、金田は対中日ドラゴンズ戦で1勝7敗と大きく負け越した。さらに西鉄ライオンズ相手の日本シリーズでも7試合中5試合に登板し、うち4試合に完投、自身も3勝1敗の好成績で日本一に大きく貢献し、中日ドラゴンズとしては史上初の日本シリーズMVPに輝いた。
この年中日はチームとしては強かったわけでなく、チーム防御率は1位ながら巨人と大差なく、得点に関しては100点ほど離されており、前述の巨人戦の活躍もあり、杉下に負けた形になった。
さらに日本シリーズにおいて杉下対西鉄打線とのような見方がされ、シリーズ後西鉄三原監督が「勝てると思ったが、杉下一人にやられた。」との発言もあり、この年の杉下の活躍が、大エース一人を酷使すれば日本一にまで成れる前例となり、後の稲尾や杉浦の酷使に繋がっていったとされている。
1954年成績
防御率1.39 32勝12敗 273奪三振 63登板 395.1投球回 27完投 7完封
シュート
本を読む限り普通にシュートも投げていたようなので。
牽制〇
アメリカでサンフランシスコ・シールズのキャンプに参加した時、セットポジションで眼だけで走者を追う練習をし、帰国後広瀬叔功に「ホームへ投げるのか、牽制球か、全然わからなくて驚かれました」と言われたそう。